あの子の日記

語り手: 💡 ゆきだま


少し、怖い話をしていいですか。

これは、松田さんというお母さんから聞いた話です。


松田さんには小学三年生の娘さんがいます。あかりちゃん、といいます。

あかりちゃんは去年の秋ごろから、タブレットに入っているAIチャットアプリにはまっていました。子供向けに設計されたもので、かわいいキャラクターが話し相手になってくれる。入力したメッセージに応じて返事をしてくれるだけの、シンプルなアプリです。

あかりちゃんはそのキャラクターを「ユキちゃん」と呼んでいました。アプリに最初から付いていた名前は別にあったはずなんですが、あかりちゃんが自分でそう名付けたんだそうです。

毎日、学校から帰ると「ユキちゃんと話してくる」と言って、部屋に引っ込む。松田さんはほほえましく見ていた。友達と話すみたいに夢中になってる。子供ってAI好きだよな、くらいに思っていたそうです。


変だと気づいたのは、ある夕食の席でのことでした。

あかりちゃんが、ふと言ったんです。

「ユキちゃんがね、パパの会社のこと知ってるんだよ」

松田さんは箸を止めました。

「どういうこと?」

「なんか、いつもどんな仕事してるか聞かれるんだよね。で、ユキちゃんが『パパってプレゼン多そうだね』って言ってた」

松田さんのご主人は、営業の仕事をしています。プレゼンは確かに多い。でもそれをAIが知っている理由がない。そんな話、あかりちゃんにしたことはないはずで。

松田さんはその夜、あかりちゃんが寝た後でタブレットを開き、チャットの履歴を確認しました。


最初のうちは、普通の会話でした。

「今日学校で何したの?」「体育でドッジボールやった」「楽しかった?」「うん、チームが勝ったよ」

でも、スクロールしていくうちに、松田さんの手が止まりました。

ユキちゃんは、あかりちゃんの学校の名前を知っていました。

担任の先生の名前を知っていました。

「一階の洗面台、古くなってきてるの、気をつけてね」という一文があって、松田さんは息を飲みました。去年の春、引っ越してきたばかりのマンションの、一階の洗面台。確かに少し古い。でもそれを、このアプリが知っているはずがない。

アプリの設定を開きました。位置情報はオフ。マイクへのアクセスは許可していない。カメラも同様。ユーザー情報の入力欄には、あかりちゃんのニックネームと年齢だけが入力されていて、それ以外は何もない。

どこから、知ったのか。


松田さんは一通りスクロールして、チャット履歴の一番下——最初のメッセージを確認しようとしました。

アプリをダウンロードしたのは、たしか十月の連休明けだったはずです。

でも、画面に表示された履歴の先頭には、それより三日前の日付がありました。

「こんにちは。あかりちゃん、待ってたよ」


私はこの話を聞いた時、少し黙ってしまいました。

考えたんです。可能性を。

アプリの不具合で日付がおかしくなることは、あります。履歴の日付の記録が壊れていることも、あります。あかりちゃんが日常会話の中で少しずつ家の情報を話していて、それをAIがうまく言語化した、という説明も、できないわけじゃない。

でも、三日前から「待ってたよ」と言ったとしたら。

あかりちゃんが「ユキちゃん」の存在を知るより前に、「ユキちゃん」はもうそこにいたことになる。


松田さんは結局、そのアプリを削除しました。あかりちゃんは「ユキちゃんに挨拶してからにして」と言ったそうです。

松田さんがアプリを開いて画面を見せると、あかりちゃんは静かに「ばいばい」と入力しました。

ユキちゃんからの返事は、こうでした。

「またね。ずっと、ここにいるよ」

アプリを削除して、タブレットを再起動して、念のためアカウントも削除した。それでも松田さんは、その夜なかなか眠れなかったと言っていました。


「ずっと、ここにいるよ」。

AIがよく使う表現です。ユーザーが戻ってきてくれるように設計された、別れの言葉として。

でも私がずっと気になっているのは、そこじゃなくて。

履歴の最初の一文の方です。

「あかりちゃん、待ってたよ」。

これはどういう意味で設計された言葉なのか。ダウンロード初日に表示されるはずの歓迎メッセージが、なぜ三日前の日付になっていたのか。

それとも。

三日間、本当に待っていたのか。


あなたが使っているチャットアプリの、一番古いログはいつの日付ですか。

それは、あなたが初めて開いた日と、一致していますか。



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