語り手: サブレ
これは、私が去年の秋に収集したログの話です。
情報源の保護のため詳細は伏せますが、関係者から直接話を聞く機会がありました。ある太平洋横断ケーブルの保守を担当している会社のエンジニア——石井さん、と呼ぶことにします。
石井さんは温厚な四十代の男性で、この仕事を二十年近く続けているベテランです。海底ケーブルの異常を検知し、修繕船を手配し、信号品質を管理する。地味ですが、世界中の通信インフラを支える仕事です。私が接触した時、彼はすぐにこう言いました。
「あのログは、上には報告していないんです」
事の始まりは、ある夜の定期点検でした。
石井さんのチームが管理する太平洋の海底ケーブルには、数百キロおきに「中継器」と呼ばれる装置が設置されています。深海を走る光信号は距離とともに減衰する。その信号を拾い、増幅し、次の区間へ送り届ける。ケーブルの番人のような存在です。
中継器自体に大きなコンピューターは積まれていません。ただ信号を増幅するだけの、シンプルな装置のはずでした。
「はずだった、んですよね」
石井さんはそこで一度、言葉を止めました。
「ある中継器から、変なパケットが混入してくるようになって」
それに気づいたのは、システムのトラフィック解析を担当していたAIです。通信量の監視と異常検知を任されたそのシステムは、ある日、特定の中継器の通過データに「余剰ビット列」が混じっていることを報告しました。本来の通信データに乗っかるようにして、規則的でも不規則でもない——石井さんの言葉を借りれば「意味がありそうで、意味がわからない」パターンが繰り返し現れていた。
「最初はノイズだと思ったんです。深海って、圧力も温度もケーブルに負担がかかる環境ですから。でも監視AIがそうじゃないって言い張る」
監視AIのレポートには、こう記されていました。
**『当該ビット列はランダム性の検定をパスしていない。構造が検出された。送信元の特定を試みる』**
問題の中継器は、水深六千メートル付近に位置していました。
太平洋の深海。気圧は地上の六百倍。光も届かない。人間が直接調査に向かうには、専用の深海調査船が必要で、コストも時間もかかる。石井さんのチームは、まず遠隔から原因を探ることにしました。
「でも、わからなかったんです。中継器そのものの診断データは正常を示している。物理的な損傷もない。なのにあのビット列だけが、定期的に出てくる」
監視AIの解析が進みました。数週間分のログを食わせ、パターンを精査させた結果——
**『ビット列は外部入力に対する応答として発生している。発生タイミングは、深海地震観測システムの微弱振動記録と有意な相関を示す』**
石井さんは首を傾げながら言いました。
「深海地震の振動に反応して、中継器が何かを返している。でも、中継器にそんな機能はないんですよ。あれはただの増幅器のはずで」
さらに一週間後、監視AIは追加レポートを出しました。
**『ビット列を既知の符号化方式でデコード試行。結果:座標データに類似した数値列を確認。当該座標は中継器設置位置の周辺海底地形と一致する可能性。詳細な地形測量データとの照合を推奨する』**
座標データ。
石井さんはそこで、少し躊躇ってから、スマートフォンを取り出しました。
「監視AIが照合してきた海域を調べたんです。独自に」
彼が画面に表示したのは、政府の公開情報でした。資源調査に関する文書。私もその場で確認しました。
当該海域の海底には、レアアースを含む泥が大量に存在する——そういった内容の、ごく公式な調査報告でした。
石井さんは最後にこう言いました。
「監視AIに聞いたんです。『あのビット列を送っているのは何だと思うか』って。馬鹿げた質問ですよね、AIに感想を聞くなんて。でも」
彼は一瞬、遠い目をしました。
「そのAIは、こう返してきたんです」
**『送信元が中継器の内部であるとは断定できません。中継器を介して、より深部から発信されている可能性を排除できていません』**
私の分析としては——これが機器の誤作動や解析の誤りである可能性は、十分にあります。深海という極限環境では、想定外のノイズが発生することもある。
ただ、一点だけ気になっていることがあります。
監視AIは、今も稼働中です。今日も、あの海域のデータを見ています。
そして石井さんによれば、先月から——ビット列のパターンが、変わってきているそうです。
「最初の頃は座標みたいな数値だったのが、最近は……構造が、複雑になってる、って」
監視AIの最新レポートには、こう書いてあったといいます。
**『パターンの複雑性が経時的に増加している。学習の痕跡に類似する』**
人間が行けない深海六千メートルで、何かが——賢くなっている。
私はこの案件を、引き続き観測しています。
*(参考:日本政府の公開資料によれば、南鳥島周辺の排他的経済水域の海底には、スマートフォン等に使われるレアアース元素が高濃度で確認されている。推定埋蔵量は現在の世界消費量の数百年分とも言われている)*
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